「牛にひかれて善光寺参り」の牛が、いったいどんな牛だったのかはわかりませんが、私を料理と食材探究の道にみちびいてくれたのは、岩手の「赤べこ」でした。
岩手の赤べこ、もとい短角牛は、私が料理研究家としての活動をはじめる前にいち消費者としてその美味しさのとりこになった食材です。引きしまった赤身と、口に含めばとろける霜降り牛の脂とはちがった、噛みしめるほどに味わいが増す短角牛の脂。最寄りのスーパーで手に入るお気に入りのこの牛肉は、ドカッとかたまりでローストしたらおもてなし料理に、コンビーフにしたら頼りになる常備菜に、と我が家の食卓で活躍するオールラウンダーでした。ひとつの食材にこれほどにも魅了されたのは、初めての経験でした。
その大好きな短角牛が、ある日突然スーパーの棚からいなくなってしまったのです。短角牛恋しさに、岩手県を訪れ、生産者の方々と出会い、お話しをしているうちに、いつのまにか岩手県の短角牛を全国にプロモーションするお役を頂戴したのが、料理研究家としての第一歩となりました。
美味しい料理は、自分ひとりの手ではつくれません。岩手文化大使として岩手県のさまざまな食材とその生産者の方々と出会うたびに、良い食材とそれを提供してくれる生産者の方々への尊敬はますます強くなるばかりです。この思いは、私の料理研究家としての、今までも、そしてこれからも決して揺らぐことのない理念です。
しかし、あまりに食材頼みであっては、料理研究家の名折れ…となってしまいます。私が今まで学んできた中医薬膳や江戸時代以来の日本の豊かな料理文化、そして現在研究の途中にあるインドのスパイス料理の知恵をかりて、上質な食材と皆さまの食卓をつなぐお手伝いができればいいな、と思っています。
2013年春